ある店舗の惣菜コーナーで、ポテトサラダを買おうとした子連れ女性に「母親ならポテトサラダぐらい作ったらどうだ」と声をかけた高齢男性の話がツイッターなどのネット上で話題になっています。

 多くの人が問題にしているのは、『ぐらい』という言い方かと思います。

 ポテサラは、ぐらいというほど簡単ではなく手間がかかる料理だとか、いや、ポテサラは簡単にできるという人もいます。

 また、惣菜を買うのは手抜きだとか、他にすることが多くて忙しいとか、さまざまな意見があります。
 
 ぐらいの程度は、人それぞれなのかなと思います。

 しかし、私は『なら』の方にも引っかかりました。
 母親ならの母親の代わりにいろんな立場や職業を入れて非難されたとしたら、何故そこまで言われなければならないとか、求められなければいけないのかと思ってしまいます。

 自分は言うだけで何もしない、しないから大変さが分からない人が多いと思います。

 テレビのコメンテーターの意見を聞いていて、気分が悪くなることがよくあります。

 鋭い分析や新たな視点、具体策を提示する人はいいのですが、責任のない立場で理想や建て前だけ偉そうに言っているコメンテーターがあまりにも多いと思います。

 理想と建て前の次元だけで論争すれば、理想が勝ってしまいます。誰もが理想を目指しているのですから。

 しかし、現実には様々な障害や要因があり、問題解決を困難にしています。

 当事者にしか分からないことがあり、当事者が本音や言い訳を言えない雰囲気もあります。

 永遠に理想には到達できない。それでも、みんな頑張ってきたし、今も頑張っているのではないかと思います。

 テレビに向かってぼやくことが多くなった年寄りの一人です。

 ちなみに、私はポテサラは好きですが、作るのは面倒なので、コンビニで買っています。
 作ってみると、少量でも、けっこう手間がかかると思います。買った方が安くて美味しいです。

 でも、食べる人数が多いのなら作ろうと思うかもしれません。




 今年のゴールドキウイは、昨年よりも大きくなっています。
 昨年は、ピンポン球よりも小さい果実でした。

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 こちらはグリーンキウイです。
 やはり、ゴールドキウイよりも大きいです。

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 キウイのそばにあるアケビです。

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 今のところ、シカには食べられていません。


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