あの日から10年経ちました。
 もうという感じと、まだという感じがあります。長いような短いような...

 昨年の3月11日に書いたブログ記事です。

 《《 地震とは分からず、目まいがしているのかなという感じでした。

 地震と分かって職場のテレビをつけたときに「津波」を目の当たりにしました。
 これは現実なのかと疑いました。あの衝撃的な光景は一生忘れることはないと思います。

 まだまだ元の生活に戻れない人が多く、困難を背負いながらも復興に向けて努力されている人に思いを寄せながら、一日も早く安らかな日々が戻ることをお祈りしたいと思います。

 いつも祈ることしかできない自分をもどかしく思います。もっと社会に貢献しなければとも思います。

 遠くのことは何もできませんが、身近なコミュニティーでのボランティア活動には積極的に参加するように努めています。 》》

 この気持ちは今も変わりません。 
 これから何十年も経って、目の当たりにした人間がいなくなった時には、忘れさられてしまうのでしょうか?

 先日、読んだ本に、福島のことを題材にしたものがあります。

八月の銀の雪 [ 伊与原 新 ]
八月の銀の雪 [ 伊与原 新 ]
 
 この中に、『十万年の西風』という短編がおさめられています。

 原発の下請け会社をやめた主人公が、福島を見に行く途中で、凧をあげている気象学の元研究者と出会います。
 そこでの会話が中心になっています。

 太平洋戦争中のジェット気流に乗せた風船爆弾のこと、福島原発の廃炉のこと、そして「使用済みの核燃料の放射線レベルが、原料となったウラン鉱石と同程度に下がるまで、十万年かかる」という話が出てきます。

 フィンランドの核の最終処分地のオンカロは、安心なレベルになるまでに10万年かかるそうです。
 それまでの危険性を後世の人に伝えることはできるのでしょうか?

 現在から十万年前を考えたら、おとぎ話や神話よりもずっとずっと昔で、マンモスやホモサピエンスの時代だと思います。(自信はないです。)

 科学の功罪がテーマになっていると思います。
 科学は人間に便利や幸福をもたらしますが、不幸をもたらすこともあります。

 最後は、使う人間が、どのように使うかという問題になってきます。

 ただ、十万年後の子孫に誰も責任を取らないということでいいのかなと思います。

 十万年後だけでなくても、百年後の人からも非難されないようにしたいものです。



 裏庭のキンセンカです。

P_20210309_152025

 以前、名前を教えてもらいました。

P_20210309_152035

 先日、紹介した花の名前が分かるアプリをかざすと、「キンセンカ」と出てきました。

 雑草も名前が分かると、雑草ではなくなりますね。


【関連ページ】
(昨年の3月11日のブログ)

(花の名前が分かるアプリ)



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