昨朝早くに、役場から電話がありました。河川が増水しているので、町の避難所を開けるということでした。
各地区の避難所は開けなくてもよいということでした。
その後、雨も上がりました。
よかったです。公民館を避難所として開けなくてすんだので。
朝から、お袋と私の持病薬を貰いに、ホームドクターの医院に行ってきました。
その後、お袋のケアマネさんの訪問があり、私の入院中、通院中のお袋の世話について相談しました。
ところで、知っている人は少ないとは思いますが、今日は、藤村操の命日です。
1903年5月22日、旧制一高の学生だった藤村操が、日光の華厳滝で投身自殺しました。
当時、現場に残された遺書が話題になりました。
藤村の死後、多くの人が自殺、自殺未遂をしたことで、華厳滝は自殺の名所になりました。
百年以上経った今も、藤村の死に関する本を読むことができます。

藤村操の手紙 華厳の滝に眠る16歳のメッセージ
やっとというか、今頃になって、ニホンミツバチの誘引蘭であるキンリョウヘンの3鉢目が咲きました。
【関連ページ】
(ちりめん山椒の作り方)
土門 公記
あの頃、学生運動が盛んで、学内での内ゲバや大学構内に機動隊が入って来るということもありました。
私も高校生の時に、藤村操の死に関心を持ちました。
下の本も人気があり、私も読みました。
あの頃、学生運動が盛んで、学内での内ゲバや大学構内に機動隊が入って来るということもありました。
その後、学生運動は、一気に下火になったように覚えています。
『いちご白書』という映画も人気があって、映画館で観ました。
だいぶ、話が逸れました。
「人生不可解で不安なし」という藤村操の遺書が長く疑問として残りました。
論語に、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」というのがあります。
人は、真理や悟りを求めて生きていると思っていたのに、人生不可解で不安なしとは、どんな心境なんだろうと思いました。
しかし、この歳になって、人生に正解はないと思うようになりました。
だからといって、それが死にはつながるとは思いません。
人生に正解はないとしても、各々が、それぞれ自分の人生の意味を探し見つける、それが、それぞれの人の正解なんだろうと思います。
人生は、自分の意志や努力で思い通りになるものではありません。
特に、四諦(生老病死)については、人間の力を超えたものがあります。
その運命を受け入れ、生かされている間は、自分なりに毎日を精一杯生きるだけのことかと思います。
もう一度、人生をやり直したいとは思わないです。
最期には、これでかよかった、これしかなかったと思える人生が送れればいいかなと思います。
「人間万事塞翁が馬」 この先、どうなるのか分からない。分からないからこそ生きていけるのだと思います。
やっとというか、今頃になって、ニホンミツバチの誘引蘭であるキンリョウヘンの3鉢目が咲きました。
晩秋に初霜が降りる直前に、屋外から室内に移します。
春には、花芽が伸びて、蕾が膨らんだ時点で室内から出して、巣箱の横に設置すればいいのかなと思います。
そうすれば、花の咲いている期間が長いので、ニホンミツバチの分蜂のタイミングに合うと思います。
キンリョウヘンは、シンビジウムの一種のようです。
【関連ページ】
(ちりめん山椒の作り方)
(キンリョウヘンの状況)
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