私が子どもの頃は戦後間もない時で、みんなが貧しかったように思います。
 どの子どもも、ほころびを繕った服を着て、青鼻を垂らして、冬には霜焼けだらけでした。

 いつの間にか、鼻を垂らしている子ども、霜焼けの子どもを見かけなくなりました。

 高度経済成長の中、新幹線、名神高速道路が開通し、1964年の東京オリンピックは夢のある祭典でした。
 一億総中流、社会主義国よりも平等な国だと言われていました。

 いつからでしょうか、勝ち組、負け組という言葉(本来の意味は別)を聞いたかと思ったら、格差社会や貧困が、当たり前のように語られるようになりました。

 たぶん、バブル崩壊後か、労働者派遣法が改正され非正規雇用者が増加した頃ではないかと思います。

 国際競争力を高めるという理由で、開発研究や人材育成ではなく、手っ取り早く労務費(人件費)を減らしたということでしょうか。

 人間には、生まれながらに差違があるということは否定しません。

 そのような状況の中で、みんなが幸せに暮らせるように、長い歴史の中で、さまざまな努力と工夫があったと思います。(しかし、格差があった時代の方が長い。)
 
 格差社会では、世襲、親の七光り、コネが増えます。
 そして、経済格差は、学力格差につながります。

 貧富の差によって、生まれながらに、スタートラインとオポチュニティの恵まれ方が違う社会は、格差を拡大再生産させてしまいます。

 平等と公平は違います。
 いろんな不平等がある中で、すべての人に、スタートラインとオポチュニティが同じであるようにということが公平な社会だと思います。

 アメリカに住んでいた時に、初めて人種によって入学試験の合格点が違う「アファーマティブ・アクション」というものがあることを知りました。
 これも、賛否両論があり、逆差別だという意見もありました。

 アメリカのホームレスの多さや経済格差に驚きました。
 すぐに、日本も同じような格差社会になりました。

 産業構造が、人間の労働を必要としない方向に進んでいます。

 ますます、格差が拡大し、ジニ係数(所得格差を示す指標の1つ)も上昇していくと思います。

 格差社会、貧困社会は、消費も減少し、経済は活性化しません。

 生活保護やベーシックインカムの議論もありますが、そのことが、社会が活気に満ちあふれ、よくなることにつながるとは思えませんが、仕方ないことなのかと思うようになりました。

 コロナ禍の現在において、政治もマスコミも世論も、公平でないことに関心を持たなくなっていることが心配です。

 我が国だけでなく、世界中の人々が、公平に暮らせる世の中になって欲しいと思います。

 格差社会の行き着く先はどんな世界なのか、不満はどこに向かうのかを危惧します。

 では、どうすればいいのか...分かりません。

 北欧諸国が格差が少ないのは、社会保障の制度が充実しているからなんでしょうか?

 ロシアや中国などの旧共産国の格差が大きいのも不思議です。

 やはり、政治が大事だということでしょうか?

 ここまで書いて、最後をまとめることができませんでした。
 続きは、また、いつかにします。





 昨日は、公民館のリフォームの見積書を工務店からもらいました。
 補助金の申請書類が揃ったので、役場に提出してきました。

 畑のトマトです。
 今年はカメムシの被害もなく、きれいなトマトが収穫できています。

P_20210716_135915

 トマトも食べきれなくなってきました。

 かぼちゃもやっと実ってきました。

P_20210716_135715

 スイカは、まだ実が見あたりません。

 お盆のお供えに、間に合いそうにないです。


【関連ページ】

(トマトの初収穫)


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