一昨日のテレビで、YouTuberの少年が、学校に行かないと宣言したことについて、評論家をはじめ、いろんな立場の人が賛否両論の意見を述べておられました。
憲法26条の問題は横に置いておいて、私はいろんな選択肢があっていいと思っています。
教育に限らず、自己責任で、いろんな選択の自由があるのはいいことだと思います。
昨日は、「自治会だより」の広報板への掲示と郵便受けへのポスティングで地域を回った後、枇杷(ビワ)の実に袋かけをしました。
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アメリカに住んでいた時に、さまざまなカルチャーショックを受けました。
その一つが、学校教育のあり方です。
当時、アメリカでは、チャータースクールが話題になっていました。
チャータースクールは、公立でも私立でもなく、さまざまなスタイルの学校がありました。
経営は、保護者や教員のグループであったり、教材関係や学習塾などの民間企業であったりです。
州や学区の認可を受けて、生徒数に応じて公費が支払われます。
チャータースクールに興味があって、私の英会話の家庭教師だったバーバラ(お袋と同い年、元小学校教員)といっしょに、チャータースクール3校の見学に行きました。
一校目は、普通の公立学校の一室を間借りしている小規模な中学校でした。
教科は何なのか分かりませんでしたが、即興で創作劇をしていました。
中には、顔を真っ赤にしている生徒もいて、アメリカ人でも恥ずかしがり屋の子がいるんだと思いました。
ハンディのGPS受信機を使って、学校まわりの地図を作るという授業もありました。
二校目は、森の中の小さなプレハブの小学校でした。
子どもたちは、基本はホームスクールで、週に1日だけ、2時間ほど登校して帰るそうです。
各自が描いた絵について、お互いに感想を言い合っていました。
三校目は、生活面で問題のある生徒の中学校でした。
1校時が30分で、毎日昼食の前に授業が終わって下校する時間割でした。
先生が、教室の前のスクリーンに映像を映し、生徒とやり取りをしているだけの授業でした。
授業が終わって、校門を出たところで、タバコを吸っている生徒がいました。
それぞれ、個性的で面白かったです。
日本のように、学習指導要領で決められたカリキュラムがないようです。
娘の通っていた公立小学校の時間割も他の学校とは少し違っていたので、公立学校にも自由裁量があったのではないかと思います。
日本の教育制度は、教育の平等や機会均等を重視しているので、日本中どこに転校しても困らないけれども、結果的に画一的な教育になるのではないかと思います。
しかし、最近の日本の貧困、格差の問題は、教育格差にもなっていて、本当にすべての子どもに教育を受ける権利が保障されているのか心配になります。
自由を大切にするのか、平等を大切にするのかという二分律の問題ではなく、止揚することで生まれたのが、チャータースクールではないかと思います。
チャータースクールによって、貧困による学力低下や学校の荒廃を防ぐことができたのか、その後の状況を知りたいと思っています。
日本でも、不登校生徒に対して、学校以外で支援する場所が増えています。
今後、積極的に、そのような選択肢が増えてもいいのではないかと思います。
昨日は、「自治会だより」の広報板への掲示と郵便受けへのポスティングで地域を回った後、枇杷(ビワ)の実に袋かけをしました。
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(選択肢の多いアメリカの学校)
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