辛坊治郎さんが、ヨットで太平洋を往復横断して、無事に帰港されました。
すごい快挙ですが、あまりニュースで取り上げられなかったような気がします。
8年前に、クジラと衝突して救助された時は、大きなニュースだったのに。
私が小学生の頃に太平洋を横断した堀江謙一さんは、ものすごいニュースでした。
「マーメイド号」というヨットの名前も覚えています。
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すごい快挙ですが、あまりニュースで取り上げられなかったような気がします。
8年前に、クジラと衝突して救助された時は、大きなニュースだったのに。
私が小学生の頃に太平洋を横断した堀江謙一さんは、ものすごいニュースでした。
「マーメイド号」というヨットの名前も覚えています。
60年前と現在では、ヨットの性能や取り巻く状況、環境が違うのかなと思います。
それでも、前回の遭難の恐怖を乗り越えて挑戦された辛坊さんはすごいと思いました。
堀江謙一さんは、アマチュア無線をされていました。
私もアマチュア無線に興味を持ち、中学2年生の時に、従事者免許を取得しました。
モールス信号(欧文)の練習などもしました。
親父は、戦前に東京電気通信大学の前身を卒業し、日本航空の前身に就職して機内通信士(現在はない職種)をしていました。
それでも、前回の遭難の恐怖を乗り越えて挑戦された辛坊さんはすごいと思いました。
堀江謙一さんは、アマチュア無線をされていました。
私もアマチュア無線に興味を持ち、中学2年生の時に、従事者免許を取得しました。
モールス信号(欧文)の練習などもしました。
親父は、戦前に東京電気通信大学の前身を卒業し、日本航空の前身に就職して機内通信士(現在はない職種)をしていました。
徴兵で軍隊に入り、戦後は復職せずに田舎に帰ってきました。
私がモールス信号に興味を持った時に、親父が和文のモールス信号の腕前を見せてくれました。
10年以上経っていても忘れていませんでした。
また、26歳の時に、小型船舶操縦免許を取得しました。
私がモールス信号に興味を持った時に、親父が和文のモールス信号の腕前を見せてくれました。
10年以上経っていても忘れていませんでした。
また、26歳の時に、小型船舶操縦免許を取得しました。
現在は、二級・特殊・特定を操縦してもいいそうですが、免許取得の実技講習と試験以降、船舶の操縦をしたことがありません。
免許を取得したのは、将来お金持ちになった時に、クルーザーのヨットを購入しようと考えていました。
しかし、まったくお金に縁のない人生でした。
もうすぐ、5年ごとの免許更新の時期が来ます。ただただ更新しているだけの免許です。
他にも、取得したのに、まったく使うことなく、更新をやめた資格がいくつかあります。
お金の無駄遣いでした。
このブログでは、野菜か果樹か花の写真をUPするようにしているのですが、昨日は、何も見当たりませんでした。
夏野菜はほぼ終わり、秋野菜はまだまだで、果樹の収穫ももう少し先です。
というわけで、裏庭の菊(キク)です。
仏壇や墓参りでお供えする菊を買わなくてもいいように、5月に挿し芽をしました。
とても元気です。
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(菊の挿し芽に挑戦)
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