タイトルが面白かったので借りました。
神社に行けば成功するとは言っていないです。
成功している人は、神社に行っているということです。
昔、数学で習った必要十分条件を思い出しました。(間違っているかも)
このタイトルで本1冊の文章を書いた著者に感心(?)しています。
共感できた項目は、「神社・お寺」がある地域は、ない地域に比べて、人は地域に愛着をもちやすいという統計結果です。
私自身は喪中なので、半年近く神社に行っていません。
これまで村役をしていたので、氏神さんの月次祭、大祓式、元旦祭、新嘗祭、春祭り、秋祭りなどの神事には参拝してきました。
老人クラブの活動で、氏神さんの清掃にも参加していました。
そして、総代会、秋祭りの実行委員会にも出席しました。
また、私の家は代々宮座の構成員なので、宮座の務めも果たしてきました。
そのような経験から、神は信じるものではなく感じるものであると思っています。
そして、神社(氏神)は、昔から地域のコミュニティーの中核的な存在だったと思います。
神社の祭礼が、村人の連携や絆を強めてきたと思います。
また、地域住民が神社の運営や継承のために、経済的にも労力的にも様々な支援、協力をして、何百年と続いてきたのだと思います。
ところで、喪中の私は、いつから神社に行ってもいいのでしょうか?
今年、正月飾りや新年の挨拶はしませんでした。(年賀状は昨年に年賀状じまい)
ネットで調べると、忌中が終わればいいというのが多いようです。
年賀状がよくなくて、初詣はよいというのも一貫性がないような気もします。
そんなことで、大阪の叔母さん、妻の母親と喪中が続いたので、半年ほど神社に行っていません。
何の根拠もありませんが、春になったら神社に行こうと思っています。
まずは、老人クラブの清掃活動から参加しようと思います。
また、以前から関心のあった春日大社の若宮おん祭にも行きたいと思っています。
毎年秋になったら、こちらから連絡しなくても、植木屋さんから電話があって、庭の手入れをしてもらっています。
話が長くなるので結論から言うと、昨秋は植木屋さんが来ませんでした。
原因は分かりませんが、9月中旬に電話があったのですが、私の都合が悪く先に延ばしてもらいました。
その後、植木屋さんから電話がなく、私が骨折で入院したりで、ズルズルと年を越してしまいました。
植木屋さんに忘れられてしまったのか、植木屋さんが病気なのか分かりません。(病気で長期入院されていたこともあります。)
とりあえず、低木の落葉樹だけ、枝切バサミでカットしました。
裏庭のモミジです。

前庭のモミジです。

前庭の木瓜(ボケ)です。

葉っぱのない木は、カットしやすいです。
台杉がひどい状態です。

台杉は寒さに弱く、冬に枝を切ってはいけないということなので、春になったら手入れをしようと思います。
サツキやツツジは、花が落ちた後がいいということです。
それまでには、右手首の骨折も完治していると思います。
問題は、高木、常緑樹です。
来年の秋まで手入れしなくても大丈夫でしょうか?
【関連ページ】
(氏神さんの秋祭り)
(田舎の神社はたいへんです!)
(昔から植木屋さんが来ていました。)
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