玄関アプローチのタイルが剥がれたので、自分で修理することにしました。

 アプローチと言っても、門扉の前の道路との境目です。

Before
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 人がよく通る場所なので、速乾性のセメントを買ってきました。



After
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 たぶん、修理箇所の両脇のタイルが剥がれるのも、時間の問題だと思います。

 このアプローチは、母屋を新築した時の造園工事でできました。

 1988年なので、37年前です。
 建て替える前の母屋は、1889年築でした。(余談ですが、1889年は大日本帝国憲法発布の年です。)

 親父は、家を新築したからと言っては宴会、新しい墓を建てたからと言っては宴会、私の娘のお宮参りの時も宴会と、大勢の人を招いての宴会が好きでした。

 その時は、そんなものかなと思っていましたが、今思えば金遣いがあらかったと思います。

 親父は地主の長男として育ちましたが、戦後の農地改革で地主ではなくなりました。

 それでも、私の金銭感覚とはまったく違いました。

 親父には金銭面だけでなく、いっぱい可愛がって貰った思い出があります。

 いっぽう、お袋はさらに大きな地主の娘だったのに、ものすごくケチです。

 子どもの頃から、お袋に可愛がって貰ったとか、何かを買って貰ったとか、お金を出して貰ったとかの記憶が一つもないです。

 それなのに、お袋の世話を10年以上もしています。

 複雑な気分です。






 家事の合間の2時間ほどで読み終えました。



 一言でいうと、著名なミュージシャンとしがない勤め人では、まったく違う人生だと思いました。

 違いすぎて、奥田民生さんの生き方は「なるほど、そうなんだ」という感想だけです。

 「仕事は遊び、遊びは仕事」と言える人は幸せです。

 私にとって仕事は、若い頃よりも年齢を重ねるに連れて、ただただ苦しくて辛かったです。

 私には、他人様に言えるような人生の生き様や生活のポリシーがないです。

 つくづく、誇れることも自慢できることもなく、なんの自信もない人生だったと思います。

 自分らしさも、自分のしたい仕事も分からず、結局、こんな生き方しかできなかったということかなと思います。

 常に自分で勝手に責任を背負い込み、自分を縛り、楽しむことができていなかったです。

 現在も、田舎の長男の責任を果たすべく、お袋の世話をしています。

 社会規範に囚われすぎて、自由な発想が持てなくなってしまったような気がします。

 たぶん、責任から逃れたら、それはそれで自分で自分を責めることになると思います。

 やはり、私はそんな生き方しかできない人間なんだと諦めの気分です。

 高校生の時に、四諦を明らかにする(諦観)ではなくて諦(あきら)めと間違って理解したのが、今もそのまま続いていて、けっこう今も納得しています。


 正直なところ、ミュージシャンは楽曲やステージが素晴らしければOKで、私生活にはあまり関心がないです。

 
 昨日の晩ごはんに作った春巻きです。

250215153857369~2

 先日の残りの皮5枚を冷凍しておきました。

 解凍して剥がそうとしたら、うまくいかなくて1枚はボツになりました。

 昨日の具材は、竹輪とポテトサラダ、竹輪ときんぴらです。






 竹輪を使うと、巻きやすいです。

 ポテサラの方が、美味しかったです。

 大河ドラマ『光る君へ』の吉高由里子さんが、X(旧Twitter)で、春巻きにこっているというポストと動画をUPされていました。

 春巻きは、何を巻いても、それなりに美味しいですよね。



【関連ページ】

(鉄柱をセメントで修理)


(四諦を諦観ではなく諦めと理解)


(春巻きを作った。)



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