昨日も、早朝から洗濯をしました。
毎日、3回着替えるので、洗濯物が多いです。
もう、長い間、雨が降っていません。
畑の水やりの水道料金がもったいないので、散水チューブを野菜の根元に移動しました。
畑全体に散水するのではなく、根元にチョロチョロと出る量にしました。
お袋の部屋の片付け、トイレ掃除などをしました。
今年初めて蛇(ヘビ)を見ました。
裏庭のビオトープです。
蝮(マムシ)ではなかったので、よかったです。
2回目のキュウリの初収穫です。
1回目のキュウリは、早くに枯れてしまいました。
インゲン豆は、たくさん花が咲いたのに、まったく収穫できませんでした。
やはり、猛暑が原因でしょうか?
何でも、猛暑のせいにしてしまいそうです。
図書館で借りた本を読み終えました。
「客観性」という言葉に私自身思うところがあったのと、本の背表紙に貼ってある図書館のラベルが「児童書」になっていたのが不思議だったので借りました。
この本のテーマは後半部分で、困窮している人のケアや居場所などの重要性やあり方だと思います。
その前提としての客観性の落とし穴について解説しています。
数値が支配する社会は、点数で序列化されます。
経済的に役に立つことが価値になり、生産性のない人間、社会の役に立たない人間は疎外されます。
そのような状況は、数値で理解することはできないので、1人の人間の内面の視点に立った現象学の手法、主観と主観の対話が重要であるということかなと思います。(私の理解不足かもしれませんが)
私が大学院で心理学を勉強していた時に、アンケート調査や測定から何が分かるのか、ずっと考えていました。
たくさんの人を調査して、平均値、中央値、最頻値などの数字が出てきます。(因子分析や相関係数などもあります)
でも、その数字に当てはまるのは、全体の1部の人です。
例えば、日本男性の平均寿命が81歳と言っても、81歳で亡くなる人は1部で、多くの人には当てはまらないです。
日本男性の全体傾向を表しているだけです。
昔、小中学校の通知表は相対評価でした。
いくら頑張っても、他との比較で、必ず誰かに評定「1」がついてしまいます。
その後、それぞれの子どもの理解に合わせた絶対評価になりました。
それでも、大学入試では点数の上位から決まり、社会に出れば数値で評価されます。
いろんな理由で、経済的に役に立てない人、生産性がないと言われる人もいます。
そんな状況で、「普通」とか「みんな」とか、一括りに論じられるのは辛いです。
無意識に、「普通」とか「みんな」という言葉を使っている人がいると、私は反射的に、普通って何なん、みんなって誰と思ってしまいます。
あなたは普通やみんなに入っていないと言われているような気がします。
たぶん、言っている人にとっての普通やみんなは、マジョリティ(多数派)のことだと思います。
「〇〇(範囲)では、一般的に多い(傾向)」と言ってもらったら、少しは分かりやすいです。
かく言う私も、そのような捉え方をしていることがあります。
自分を取り巻く世界を簡単に理解する方法が数値化やレッテル貼りだと思います。
特定の集団やカテゴリにレッテルを貼り、ステレオタイプに捉えることで単純化できます。
でも、一人ひとりの人間は、もっと多様で、複雑で、いろいろと違っています。
理解できないという状況が不安定なので、あの人はこんな人とレッテル貼りをして、ひと言で整理しているんだと思います。
人生の中で、数え切れない人と出会ってきました。
この年齢になって、ほとんどの人は記憶から消えました。
自分が亡くなったら、悲しいですが、0になります。
仕方ないですよね。
図書館の司書さんに、「児童書」について質問しました。
「ちくまプリマー新書」の対象はヤングアダルトなので、児童書ということでした。
児童書にしては、けっこう難しい内容でした。
昨日の晩ごはんです。
メインは、牛コマの野菜炒めです。
茗荷、オクラ、ピーマンなどは、畑で収穫しました。
トマトや大葉は、まだたくさん収穫できるのですが、食べ飽きました。
【関連ページ】
(ステレオタイプが溢れている。)
(ビオトープのマムシを殺生)
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毎日、3回着替えるので、洗濯物が多いです。
もう、長い間、雨が降っていません。
畑の水やりの水道料金がもったいないので、散水チューブを野菜の根元に移動しました。
畑全体に散水するのではなく、根元にチョロチョロと出る量にしました。
お袋の部屋の片付け、トイレ掃除などをしました。
今年初めて蛇(ヘビ)を見ました。
裏庭のビオトープです。
蝮(マムシ)ではなかったので、よかったです。
2回目のキュウリの初収穫です。
1回目のキュウリは、早くに枯れてしまいました。
インゲン豆は、たくさん花が咲いたのに、まったく収穫できませんでした。
やはり、猛暑が原因でしょうか?
何でも、猛暑のせいにしてしまいそうです。
図書館で借りた本を読み終えました。
「客観性」という言葉に私自身思うところがあったのと、本の背表紙に貼ってある図書館のラベルが「児童書」になっていたのが不思議だったので借りました。
この本のテーマは後半部分で、困窮している人のケアや居場所などの重要性やあり方だと思います。
その前提としての客観性の落とし穴について解説しています。
数値が支配する社会は、点数で序列化されます。
経済的に役に立つことが価値になり、生産性のない人間、社会の役に立たない人間は疎外されます。
そのような状況は、数値で理解することはできないので、1人の人間の内面の視点に立った現象学の手法、主観と主観の対話が重要であるということかなと思います。(私の理解不足かもしれませんが)
私が大学院で心理学を勉強していた時に、アンケート調査や測定から何が分かるのか、ずっと考えていました。
たくさんの人を調査して、平均値、中央値、最頻値などの数字が出てきます。(因子分析や相関係数などもあります)
でも、その数字に当てはまるのは、全体の1部の人です。
例えば、日本男性の平均寿命が81歳と言っても、81歳で亡くなる人は1部で、多くの人には当てはまらないです。
日本男性の全体傾向を表しているだけです。
昔、小中学校の通知表は相対評価でした。
いくら頑張っても、他との比較で、必ず誰かに評定「1」がついてしまいます。
その後、それぞれの子どもの理解に合わせた絶対評価になりました。
それでも、大学入試では点数の上位から決まり、社会に出れば数値で評価されます。
いろんな理由で、経済的に役に立てない人、生産性がないと言われる人もいます。
そんな状況で、「普通」とか「みんな」とか、一括りに論じられるのは辛いです。
無意識に、「普通」とか「みんな」という言葉を使っている人がいると、私は反射的に、普通って何なん、みんなって誰と思ってしまいます。
あなたは普通やみんなに入っていないと言われているような気がします。
たぶん、言っている人にとっての普通やみんなは、マジョリティ(多数派)のことだと思います。
「〇〇(範囲)では、一般的に多い(傾向)」と言ってもらったら、少しは分かりやすいです。
かく言う私も、そのような捉え方をしていることがあります。
自分を取り巻く世界を簡単に理解する方法が数値化やレッテル貼りだと思います。
特定の集団やカテゴリにレッテルを貼り、ステレオタイプに捉えることで単純化できます。
でも、一人ひとりの人間は、もっと多様で、複雑で、いろいろと違っています。
理解できないという状況が不安定なので、あの人はこんな人とレッテル貼りをして、ひと言で整理しているんだと思います。
人生の中で、数え切れない人と出会ってきました。
この年齢になって、ほとんどの人は記憶から消えました。
自分が亡くなったら、悲しいですが、0になります。
仕方ないですよね。
図書館の司書さんに、「児童書」について質問しました。
「ちくまプリマー新書」の対象はヤングアダルトなので、児童書ということでした。
児童書にしては、けっこう難しい内容でした。
昨日の晩ごはんです。
メインは、牛コマの野菜炒めです。
茗荷、オクラ、ピーマンなどは、畑で収穫しました。
トマトや大葉は、まだたくさん収穫できるのですが、食べ飽きました。
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