昨日は、50年前にタイムトリップしてきました。
50年前は大学生で、阪急淡路駅と新大阪駅との中間のやや淡路よりにあったアパートに住んでいました。
何年か前にGoogleMapを見ていたら、私が住んでいたアパートの名前がありました。
航空写真では、昔と同じ建物です。
もしかしたら、そのアパートに50年前の「僕」が今も住んでいて、訪ねて行けば「僕」に会えるのではと思いました。
いつか、いつかと思っているうちに何年も経ってしまいました。
このままでは死ぬまで行かなくて、「僕」には会えずに人生が終わるような気がしました。
昨日、思い切って淡路に行きました。
阪急淡路駅は、昔のままのホームなんですが、上空に工事中の建造物ができつつありました。
かつて、私の住んでいたアパートは、アスファルトの道路から地道に入って、すぐに左折します。
奥の建物に私が住んでいました。
左側がオーナーというか、管理人さんの居住スペースでした。
あいさつというか、見学の許可を得るために入りました。
スマホのない時代、電話の呼び出しでお世話になりました。
管理人さんが住んでいるような雰囲気がありませんでした。
勝手に、奥の建物に入りました。
建物の真ん中に廊下があって、廊下を挟んで部屋が並んでいます。
部屋は6畳和室で、廊下側に入口と簡単なキッチンがありました。
キッチンの煙は小窓につけた換気扇から、廊下に排出されました。
1度、サンマを焼いて、廊下が煙だらけになったことがあります。
左側の5号室が私の部屋でした。
どの部屋も、人が住んでいるような気配がありませんでした。
共同トイレも昔のままですが、掃除をしていません。
まるで、廃墟でした。
帰ることにしました。
地道が途切れたところが、アスファルト道路です。
「僕」は、いなかったです。
でも、なんとなく、すっきりしました。
もし会えたら、「今、何しているの?」と訊こうと思っていました。
50年前に山下先生と出会った喫茶店は、住宅になっていました。
50年前と同じだったのは、商店街の郵便局、公園、公園の前の市場、映画館、イズミヤ(スーパー)、純喫茶の風車です。
映画館の建物は残っていたのですが、営業はしていませんでした。
土曜日のオールナイト3本立てが500円だったので、おにぎり🍙を作って映画を観に行っていました。
古いけれど有名な映画を上映していました。
風車でアイスコーヒーを飲みました。
注文すると、「冷コ1つ」と、厨房に伝えていました。
風車は、プロボクシングの世界チャンピオンだった渡辺二郎さんの実家です。
当時通っていた銭湯は、クラフトビールのお店になっています。
客席は、当時のままのお風呂です。
電気風呂は覚えているのですが、サウナの記憶はないです。
飲み比べセットを注文しました。
コロッケとローストビーフは、近くのお肉屋さんで買って、持って行きました。
コロッケとローストビーフが余ったので、ビールを追加しました。
来てよかったです。
でも、もう来ることはないです。
もう一つ、行きたいところは、25年前に住んでいたアメリカの街です。
今の状況では、遠方の旅行は難しいです。
淡路の余談なんですが、交番の近くの電柱に貼っていました。

菅原道真が太宰府に左遷される道中、このあたりを淡路島と勘違いしたのが、地名の由来だそうです。
当時は、淀川の中州だったみたいです。
ここ数日、図書館で借りた絵巻の本を読んでいる途中です。
やっぱり、京都国立博物館の特別展「北野 天神」に行って、実物の「北野天神縁起絵巻」を観てみたいです。
人混みと行列と混雑を覚悟して、行こうかな?
【関連ページ】
(5年前にGoogleMapでアパートを発見)
(大阪のアパート時代を思い出す)
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50年前は大学生で、阪急淡路駅と新大阪駅との中間のやや淡路よりにあったアパートに住んでいました。
何年か前にGoogleMapを見ていたら、私が住んでいたアパートの名前がありました。
航空写真では、昔と同じ建物です。
もしかしたら、そのアパートに50年前の「僕」が今も住んでいて、訪ねて行けば「僕」に会えるのではと思いました。
いつか、いつかと思っているうちに何年も経ってしまいました。
このままでは死ぬまで行かなくて、「僕」には会えずに人生が終わるような気がしました。
昨日、思い切って淡路に行きました。
阪急淡路駅は、昔のままのホームなんですが、上空に工事中の建造物ができつつありました。
かつて、私の住んでいたアパートは、アスファルトの道路から地道に入って、すぐに左折します。
奥の建物に私が住んでいました。
左側がオーナーというか、管理人さんの居住スペースでした。
あいさつというか、見学の許可を得るために入りました。
スマホのない時代、電話の呼び出しでお世話になりました。
管理人さんが住んでいるような雰囲気がありませんでした。
勝手に、奥の建物に入りました。
建物の真ん中に廊下があって、廊下を挟んで部屋が並んでいます。
部屋は6畳和室で、廊下側に入口と簡単なキッチンがありました。
キッチンの煙は小窓につけた換気扇から、廊下に排出されました。
1度、サンマを焼いて、廊下が煙だらけになったことがあります。
左側の5号室が私の部屋でした。
どの部屋も、人が住んでいるような気配がありませんでした。
共同トイレも昔のままですが、掃除をしていません。
まるで、廃墟でした。
帰ることにしました。
地道が途切れたところが、アスファルト道路です。
「僕」は、いなかったです。
でも、なんとなく、すっきりしました。
もし会えたら、「今、何しているの?」と訊こうと思っていました。
50年前に山下先生と出会った喫茶店は、住宅になっていました。
50年前と同じだったのは、商店街の郵便局、公園、公園の前の市場、映画館、イズミヤ(スーパー)、純喫茶の風車です。
映画館の建物は残っていたのですが、営業はしていませんでした。
土曜日のオールナイト3本立てが500円だったので、おにぎり🍙を作って映画を観に行っていました。
古いけれど有名な映画を上映していました。
風車でアイスコーヒーを飲みました。
注文すると、「冷コ1つ」と、厨房に伝えていました。
風車は、プロボクシングの世界チャンピオンだった渡辺二郎さんの実家です。
当時通っていた銭湯は、クラフトビールのお店になっています。
客席は、当時のままのお風呂です。
電気風呂は覚えているのですが、サウナの記憶はないです。
飲み比べセットを注文しました。
コロッケとローストビーフは、近くのお肉屋さんで買って、持って行きました。
コロッケとローストビーフが余ったので、ビールを追加しました。
来てよかったです。
でも、もう来ることはないです。
もう一つ、行きたいところは、25年前に住んでいたアメリカの街です。
今の状況では、遠方の旅行は難しいです。
淡路の余談なんですが、交番の近くの電柱に貼っていました。

菅原道真が太宰府に左遷される道中、このあたりを淡路島と勘違いしたのが、地名の由来だそうです。
当時は、淀川の中州だったみたいです。
ここ数日、図書館で借りた絵巻の本を読んでいる途中です。
やっぱり、京都国立博物館の特別展「北野 天神」に行って、実物の「北野天神縁起絵巻」を観てみたいです。
人混みと行列と混雑を覚悟して、行こうかな?
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